平成29年4月16日
西国三十三所巡礼9日目②
第5番札所「葛井寺」からは、来た道を取って返し、第6番札所「壷阪寺」(奈良県高市郡高取町)へ向かいます。
南へ徒歩5分で「仲哀陵古墳」(岡ミサンザイ古墳)へ。
「仲哀陵古墳」は、古墳時代中期(5世紀末)の築造と推定され、全国第16位の規模の巨大な前方後円墳であり、宮内庁により第14代仲哀天皇の陵に治定されています。
更に南へ徒歩10分ほど、12時すぎに「野中寺」へ。
青龍山「野中寺」は、飛鳥時代に蘇我馬子が開基し、聖徳太子建立48院の一つとされ、叡福寺の「上の太子」、将軍寺の「下の太子」に対して「中の太子」とも称されます。
「野中寺」の御朱印はこちら↓
1kmほど南下し、芦が池のほとりでは桜が見事でした🌸
芦が池から東進し、近鉄「古市駅」を過ぎて「西琳寺」へ。
「西琳寺」は、欽明天皇の御代(6世紀中頃)百済から渡来した王仁の子孫・西文氏の創建とされ、聖徳太子御遺跡霊場第4番札所に指定されています。
「西琳寺」の御朱印はこちら↓
竹内街道を進み、石川沿いの気持ちの良い河川敷をのんびり歩きます。
石川河川公園を過ぎるとすぐに「日本最初大黒天」の看板が!
早速、行ってみると「大黒寺」でした。
天童山「大黒寺」は、役行者が金剛山で修行中に大黒天が出現し、そのお告げで桜の木で大黒天を作り小堂に安置したのが始まりとされる、日本最初の大黒天出現霊場だそう。
「大黒寺」の御朱印はこちら↓
更に堤防道路を2kmほど南下すると「壷井八幡宮」の看板が!
「壷井八幡宮」は、河内源氏発祥の地として知られ、平安中期に源頼信公が私邸を営み、頼義公が石清水の神を勧請したのが起源とされます。
「壷井八幡宮」の御朱印はこちら↓
狭い路地を進むと、
「通法寺跡」には、源頼信公・頼義公・義家公の河内源氏3代のお墓があります。
「源頼義公のお墓」
太子町に入ると、飛び出し坊やも聖徳太子でした~w
2kmほど走り、14時半に「叡福寺」に到着!
磯長山「叡福寺」は、推古天皇30年(622年)聖徳太子の陵墓を守護するため、一堂を構えたのが始まりとされ、神亀元年(724年)聖武天皇の勅願により、伽藍を造営されたと伝わります。
「聖徳太子御廟」
「叡福寺」の御朱印はこちら↓
更に1.5kmほどで「推古天皇陵」へ。
「推古天皇陵」は、東西に長い三段築成の長方墳で、日本初の女帝であり、聖徳太子を摂政とした第33代推古天皇の陵とされます。
更に更に1kmほどで「科長神社」へ。
残念ながら人の気配がなく、御朱印はいただけませんでした・・・
神社横の長い階段を登ると、
「小野妹子墓」
推古天皇の御代に、遣隋使として派遣された小野妹子の墓と伝わります。
この辺りは寺院や旧跡が多くて、なかなか進めませんね・・・嬉しい誤算!?
加えて、標高を上げたのに気温23℃の暑さに汗だく💦
竹内峠からは、旧道の山道で奈良県に入ります。
ダイヤモンドトレールに合流し、岩屋峠まで登ります。
久々の登山道は楽しい♪
「岩屋」
大小2基の石窟で構成され、8世紀奈良時代の築造と言われます。この岩屋で、中将姫が當麻寺に所蔵される當麻曼荼羅を織ったとする伝説が残されています。
15分ほどで岩屋峠を越え、下りに入ります。
走りたくなるほど気持ちの良い下山道です。
30分ほど下り、16時半に「當麻寺」に到着!
「當麻寺」は、推古天皇20年(612年)麻呂子親王が聖徳太子の教えにより創建し、當麻曼荼羅を御本尊とする、浄土宗と真言宗の二宗を護持する珍しいお寺です。
「仁王門」
きれいな八重桜🌸
「三重塔」
「本堂」(曼荼羅堂)
御本尊:當麻曼荼羅を祀ります。
【御朱印】
本堂内の授与所でいただきました。
以前の「當麻寺」の御朱印はこちら↓
陽が傾いてきましたが、少しでも先に進みます。
二上山へと落ちる夕陽に、思わず足が止まりますね♪
更に10kmほど走り、19時すぎに近鉄「大和八木駅」で本日は終了!
次回は、第6番札所「壷阪寺」へ向かいます。
平成29年4月16日(Day9:42km、これまでの歩行距離360km)
(Day10-1へつづく↓)
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