【京都】宇宙を表し、無に通じる「悟りの窓」が見事♪「泉涌寺」「雲龍院」の御朱印

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平成28年9月24日

京都市東山区の「泉涌寺」へ。

御寺「泉涌寺」は、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたが、のちの建保6年(1218年)に月輪大師俊芿が大伽藍を造営した際、寺地の一角から清水が湧き出たことから「泉涌寺」と改められたと伝わります。

また、後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時らが月輪大師について受戒するなど、公家・武家の両者から深く帰依されてきたそう。

「楊貴妃観音堂」

寛喜2年(1230年)湛海律師が南宋から請来した聖観音(楊柳観音)を安置します。

以来、百年毎に開扉される秘仏であったものの、昭和31年(1956年)からは参拝者のために厨子の扉が開かれるようになったそう。

「仏殿」

寛文8年(1668年)四代将軍・徳川家綱公により再建され、運慶作と伝わる三尊仏(阿弥陀・釈迦・弥鞠)が安置されます。

「庭園」

【御朱印】

授与所でいただきました。

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次に、別院「雲龍院へ。

「雲龍院」は、真言宗泉涌寺派の別格本山であり、室町時代の応安5年(1372年)後光厳法皇が竹巌聖皐律師を招いて自らの菩提所として建立したのが始まりと伝わります。

また、歴代天皇の信仰が篤く、特に後円融天皇の勅願により如法写経会が始められたことから、現在も写経道場として知られます。

「れんげの間」

この位置から庭園を眺めると、障子の4つの四角窓からちょうど「椿」「燈籠」「楓」「松」が見えるように配置されています。

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「悟りの窓」

正確な円を描いており、円は宇宙を表し、無にも通じることから、禅における悟りの境地を表しているそうです。

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「頭の体操」

右のひらがなは「鎌倉時代の大工さんの落書きは何と読むでしょう?」

左の漢字は「中国の人が考えました。林下の祖師半身を現し、水辺の尊者頭却を隠す。一行で一字、二字の熟語を探してください!」

わかりますか?

「庭園」

【御朱印】

色紙の書置きを含めて3種いただきました。

いずれも達筆ですね♪

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次に、別院「戒光寺」へ。

塔頭「戒光寺」は、安貞2年(1228年)曇照忍律上人により八条大宮の東、堀川の西に創建され、後堀河天皇の勅願所となったのが始まりと伝わります。

また、京都八釈迦の一つに数えられ、嵯峨清涼寺や大報恩寺などとともに庶民にも深く信仰されたそう。

「山門」

「本堂」

御本尊:釈迦如来は、運慶・湛慶父子の作と伝わり、首から上の病や悪いことの身代わりになってくださる「身代わり釈迦」と呼ばれ、信仰されているそう。

また、身の丈5.4m(一丈八尺)、光背と台座を含めて約10m(三丈三尺)の大きさから、「丈六さん」として親しまれます。

【御朱印】

本堂内でいただきました。

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次いで、別院「即成院」へ。

「即成院」は、正暦3年(992年)恵心僧都により伏見に建立された光明院が始まりと伝わります。

その後、数度の移設ののち、文禄3年(1594年)豊臣秀吉公の伏見築城のため、深草大亀谷に移転し、更に明治時代には泉涌寺山内に再興され、即成院と称されたそう。

「山門」

「本堂」

御本尊:阿弥陀如来像並びに二十五菩薩像が安置されます。

【御朱印】

授与所でいただきました。


<泉涌寺>

公式URL:http://www.mitera.org/

<泉涌寺雲龍院>

公式URL:http://www.unryuin.jp/


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