洛陽三十三所観音巡礼②
第1~3番札所に続き、第4~6番札所を紹介します。
第4番札所「革堂行願寺」
寛弘元年(1004年)行円上人による創建と伝わります。
行円上人は狩人だった頃、子を孕んだ母鹿を射止めたことを悔い、仏門に入ったとされ、上人が常に母鹿の皮の衣を纏ったことから、人々から「皮聖」と呼ばれたことにちなみ、「革堂」と呼ばれるそう。
行円作の御本尊:千手観音菩薩をお祀りします。
(写真を撮り忘れたのでパンフレットより・・・)
【御朱印】
他にも都七福神の御朱印もあるそう。
第5番札所「新長谷寺(真如堂)」
平安中期の永観2年(984年)比叡山延暦寺の僧・戒算上人が延暦寺の阿弥陀如来像を東三条院・藤原詮子(藤原道長の姉)の離宮に安置したのが始まりとされます。
なお、正しくは「真正極楽寺」と称され、京都市内の天台宗寺院としては最大規模を誇ります。
「本堂」
御本尊:阿弥陀如来立像をお祀りします。
「三重塔」
宝暦年間(1750年頃)の建立とされ、本瓦葺で高さ約30mあるそう。
「新長谷寺」
平安時代、九条家の祖・藤原山蔭卿の開基とされ、御本尊:十一面観音菩薩をお祀りします。
その昔、越前守高房が大宰府に赴任する際、淀川の漁師が捕らえた亀が不憫で、着物と交換して逃がしてやった。その後、乳母が誤って高房の幼児を海に落としたが、亀が甲羅に乗せて助けたため、恩返しをした亀のために寺を建て、観音様を安置したとの伝説があるそう。
「本堂」
【御朱印】
本堂にていただきました。
第6番札所「金戒光明寺」
浄土宗の大本山であり、承安5年(1175年)法然上人が43歳の時、比叡山山頂の石の上で念仏を唱えると、紫雲全山にみなぎり光明があたりを照らしたことから、比叡山の黒谷を下りて、この地に草庵を結ばれたのが始まりとされ、「くろ谷さん」の愛称で親しまれます。
「山門」
万延元年(1860年)に建立され、楼上正面には後小松天皇宸翰の「浄土真宗最初門」の勅額が掲げられます。
「御影堂」
昭和19年に堂内の光線と音響に細部の注意を凝らして再建され、法然上人75歳の御影が奉安されます。また、徳川秀忠公菩提のため、三重塔に安置されていた運慶作の文殊菩薩も遷座されています。
「アフロ大仏」
【御朱印】
御影堂内の志納所にていだたきました。
「五劫思惟」の御朱印にはアフロ大仏の朱印が♪
(第7番札所「長樂寺」【洛陽③】へつづく)
第4番札所「革堂行願寺」
第5番札所「新長谷寺(真如堂)」
公式URL:http://shin-nyo-do.jp/
第6番札所「金戒光明寺」
公式URL:http://www.kurodani.jp/
🌸京都の【御朱印】まとめ(お寺編)
🌸京都の【御朱印】まとめ(洛陽三十三所観音巡礼編)
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