平成31年4月13日(令和4年8月23日追記)
高野山巡礼の旅⑤
「霊宝館」から徒歩5分で「壇上伽藍」へ。
「壇上伽藍」は、弘仁7年(816年)弘法大師が高野山に真言密教の根本道場を開創した際、まず最初に堂塔の整備に着手した場所であり、「奥の院」と並ぶ高野山の二大聖地の一つとして信仰されます。境内には、根本大塔、金堂をはじめ19の建造物が立ち並びます。
「中門」
天保14年(1843年)の大火により焼失するも、平成27年(2015年)高野山開創1200年を記念して、170年ぶりに再建されたそう。
持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王が安置されます。
「鐘楼」
「金堂」
御本尊:薬師如来をお祀りします。高野山の総本堂として、重要な行事の殆どが執り行われるそう。
「六角経蔵」
鳥羽法皇の菩提を弔うため、皇后・美福門院が建立した経蔵です。
経蔵の基壇に把手がついていて、ぐるっと回すことができ、経蔵を一回りすれば一切経を読誦した功徳が得られるそう♪
「御影堂」
真如親王直筆の弘法大師御影像が奉安されます。高野山で最重要の聖域のため、限られた方しか堂内に入れません。
「三鈷の松」
弘法大師が唐から帰国する際、真言密教に相応しい場所を求めて、三鈷杵という法具を投げると、雲に乗って日本へ向けて飛んでいき、この松に引っかかったと伝わります。三葉の松の落ち葉を見つけると縁起が良いとされます。
「根本大塔」
弘法大師と真然大徳の二代を費やし、816年~887年頃にかけて完成した真言密教の根本道場におけるシンボルです。御本尊:胎蔵大日如来をお祀りし、周囲を金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には八祖像が描かれ、堂内そのものが立体曼荼羅を構成しているそう。
【御朱印】
授与所でいただきました。
以前いただいた御朱印です。
書き手さんによって随分と書体が異なりますね!
<壇上伽藍>
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山152
電話:0736-56-2011
拝観料:200円(金堂・大塔)、拝観時間:8時半~17時
駐車場:周辺に数十台あり(無料)
公式URL:http://www.koyasan.or.jp/
「壇上伽藍」から徒歩5分で「大門」へ。
「大門」は、高野山の入口に聳える一山の総門であり、高さ約25mの二階二層門は圧巻の大きさです!江戸中期の大仏師・運長・康意の作と伝わる金剛力士像は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ巨像だそう。
大門からは「高野山町石道」を下り、高野山の麓へ戻ります。
「高野山町石道」は、弘法大師が高野山を開創した際、1町(109m)毎に木製の卒塔婆を建てて切り開いた古道と伝わり、麓の慈尊院から山上の壇上伽藍(大塔)までの約22kmの道のりです。
早速、急勾配の山道が続きます!
気になる看板が・・・!
古道沿いには、1町(約109m)毎に町石が立ち並びます。
1時間ほど走ったり歩いたりし、「矢立茶屋」で休憩♪
名物のやきもちをいただきます♪
再び山道のアップダウンを繰り返し、
ゴルフ場の脇を進みます。
「二ッ鳥居」
弘仁10年(819年)弘法大師による建立と伝わります。
途中から雨が降ってきて、石段が滑ります・・・
古道も終盤に差し掛かり、ようやく街並みが見えてきます♪
展望台からの景色♪
大門から4時間ほど歩き続け、麓の「丹生官省符神社」に到着!
「丹生官省符神社」は、弘仁7年(816年)弘法大師が「慈尊院」を開いた際、紀ノ川河畔に丹生明神と高野明神をお祀りしたのが始まりとされます。
「丹生官省符神社」の御朱印はこちら↓
急傾斜の階段を下ると、
高野山町石道の起点「慈尊院」へ到着!
「慈尊院」は、弘仁7年(816年)弘法大師による高野山開創の際、高野山参詣の表玄関として伽藍を創建したことに始まります。
弘法大師の御母公の化身・弥勒菩薩に子宝・安産・育児・授乳などを祈願する「乳房型絵馬」が奉納されます。
「慈尊院」の御朱印はこちら↓
最後は、1kmほど歩いてスタート地点の道の駅「柿の郷くどやま」へ。
一日かけて空海が開いた天空の聖地・高野山を満喫できました♪
高野山には、他にも御朱印をいただける寺社がたくさんあり、巡礼の旅はまだまだ続きます。
🌸和歌山の【御朱印】まとめ
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