【滋賀】安土城跡に移築された織田信長公の菩提寺「摠見寺」の御朱印帳と御朱印

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平成30年3月17日

滋賀県近江八幡市の「摠見寺」へ。

遠景山見寺」(そうけんじ)は、臨済宗妙心寺派に属し、天正4年(1576年)安土城築城の際、織田信長公が本丸西側の峰に他所より移築し、自らの菩提寺としたと伝わります。天正10年(1582年)天主崩落の際も焼け残ったものの、安政元年(1854年)火災により本堂ほか殆どの諸堂を焼失したそう。

「摠見寺」へは、県道2号線沿いの「安土城址」の看板が目印です。

「安土城跡」は、天正4年(1576年)天下統一を目指した織田信長公が、重臣・丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城し、天正7年(1579年)国内初の天守閣(天主閣)を持つ城として完成しました。

しかし、天守完成からわずか3年後の天正10年(1582年)明智光秀の謀反により、信長公が本能寺で自刃したのち、天守などを焼失、一夜にして落城したそう。

「拝観受付」

城跡めぐりは、大人700円、小人200円を納めます。

「大手道」

急な石段が延々と続きます。向かって右側が「伝前田利家邸跡」、左側が「伝羽柴秀吉邸跡」となります。

「伝羽柴秀吉邸跡」

豊臣秀吉公が住んだと伝わる屋敷跡は、上下2段に分かれた郭で構成され、下段には櫓門と厩、上段には高麗門に隅櫓、主殿の遺構が残ります。

「仮本堂」

安政元年(1854年)に焼失した本堂に代わり、昭和7年(1932年)「伝徳川家康邸跡」に仮本堂が建てられました。信長公所用の永楽銭を散らした銀象眼の「鉄鍔」や「陣羽織」が伝わります。

急石段が続きます。

子どもたちは元気に走ってきますね!すぐにバテていましたが・・・(笑)

「黒金門跡」

本丸跡まであと少し!

「信長公本廟」

天守跡西側の二の丸跡には、信長公の本廟が残ります。天正11年(1583年)豊臣秀吉公が、信長公ゆかりの太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬し、盛大な法要を行ったと伝わります。

「天守跡」

石垣に囲まれた東西・南北約28mの台地には、5層7階(地上6階地下1階)・高さ33mの天守が聳えていたと伝わります。

天守跡からの展望♪

遠く琵琶湖の向こう側には、高島トレイルの山々が聳えます。

西の湖方面の展望♪

長命山や八幡山方面を望みます。

「三重塔」

享徳3年(1454年)建立とされ、天正3年(1575年)頃、信長公が甲賀の長寿寺から移築したと伝わります。

「本堂跡」

「二王門」

元亀元年(1571年)建立とされ、金剛力士像を安置します。

二王門からは巻き道を通り、大手道へ戻ります。

信長公の絵馬

【御朱印】

拝観受付でいただきました。

【御朱印帳】

カバーなし、小さいサイズです。

他にも、信長公があしらわれた御朱印帳もありました。


<摠見寺>(安土城跡)

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367

電話:0748-46-2142

拝観料:城跡めぐり+特別拝観1,200円(城跡のみ大人700円、小人200円)

拝観時間:9時~17時(受付~16時)

駐車場:約200台(市営・参拝専用とも無料)


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