【西国巡礼】Day31.西国巡礼の満願成就!過去・現在・未来を意味する第33番札所「華厳寺」の3つの御朱印

平成30年4月1日

西国三十三所巡礼31日目(最終回)

昨日の続き、JR柏原駅を8時に出発!

西国最後の第33番札所「華厳寺」へ向けて、中山道を進みます。

徒歩数分で「照手姫笠掛地蔵」があります。

常陸国城主・小栗判官助重は、毒酒で落命の危機に遭い、餓鬼阿弥となり一命を取り止めます。悲しみに暮れた愛妾・照手姫は、夫を乗せた箱車を懸命に引き続け、この地で野ざらしの石地蔵に自分の笠を掛けて一心に祈ると、地蔵のお告げがあり、熊野の地で療養すると夫が全快したそう。今も熊野の湯の峰温泉には、伝説の蘇生の湯(つぼ湯)が残ります。

水仙を撮影していたら、ちょうど貨物列車とのコラボに♪

この辺りが東海道本線の最高地点(172m)だとか。

神明神社のの花?に見とれていると、

ここにも熊に注意の看板が!

「寝物語」

左側の溝が近江・美濃の国境であり、溝を挟んだ両国の旅籠では、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」とも言われ、源義朝を追ってきた常盤御前が「夜更けに隣宿の話し声から家来の江田行義と巡り合った」とも伝わります。

いよいよ西国最後の県となる岐阜県入り!

至る所に名所旧跡が続きます。

「不破関守跡」

延暦8年(789年)の関の停廃以後に任命された関守の屋敷跡だそう。

消火器ボックスも戦国チックでいい感じです。

そして、「関ヶ原古戦場」跡地へ!

慶長5年(1600年)徳川家康が会津征伐のためとして東下、それを好機と石田三成らは、毛利輝元を総大将として大坂で挙兵し、関ヶ原の戦いの幕が上がります。

(開戦地案内板を撮影)

「開戦地」

西軍・石田三成らは「鶴翼の陣」を布陣し、対する東軍・徳川家康らは関ヶ原の盆地中央にて「魚鱗の陣」を形成。雨があがり、霧が晴れ始めた午前8時頃、東軍の松平忠吉と井伊直政が抜け駆けして西軍の宇喜多隊に発砲し、この場所で関ヶ原の戦いが開戦したと伝わります。

「石田三成陣跡」

石田三成隊約6千は、高所で盆地を一望できる笹尾山に布陣し、兵力で勝る黒田長政や細川忠興ら東軍諸隊の猛攻に善戦するも、正午頃には小早川秀明の寝返りにより均衡が崩れ、西軍諸隊が次々に敗走、午後2時頃には石田隊も壊滅したそう。

高台の陣跡からは盆地が一望でき、約400年前の合戦に思いを馳せます。

お隣の笹尾山交流館では、武将隊によるパフォーマンスが行われていましたが、観客はまばらでした・・・

「決戦地」

西軍は総兵力では東軍を上回るものの、積極的に戦ったのは石田三成、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継らごく一部であり、天下分け目と言われる国内最大級の戦いは、わずか半日で決戦しました。

「徳川家康最後陣跡」

家康は、合戦の進展に伴い、本営を桃配山から笹尾山の東南約1kmのこの地に移動し、陣頭指揮とともに敵将の首実検を行いました。

関ヶ原駅前には、戦国武将の旗印が並びます。

観光交流館でお土産を探します。

「カレーなる戦い」

ココイチ好きとしては、これは買わねば!

「胆の毒ゼリー」

柿の木は、天や地獄等の異界とこの世の境に立つとも言われ、石田三成が刑執行前に湯の代わりに出された干し柿を「胆の毒」だと断り、「大志を遂げようとする者は、絶命するまで自分の命を大切にしなければならない」と語ったとの逸話が残ります。

関ヶ原はうどんつゆの天下分け目の地!?

関東風(こい口)と関西風(うす口)の分岐点だとか。

相川橋では、鯉のぼりの群れが凄い!

中山道・赤坂宿からは北上し、谷汲道を進みます。

谷汲巡礼街道は、中山道赤坂宿から西国札所「華厳寺」に至る街道として、室町中期には定まっていたそう。

が満開です♪

「乳くれ地蔵」

一人の老人が道行く人に「あなたの乳を飲ませてください」と懇願し、気味悪がって誰も近づかないなか、庄屋の妻・おみねが見かねて胸元を広げると、老人は地蔵尊建立の巡礼中に病に倒れ、蓄えた金と願いを託せる慈悲深い人を探していたと告白します。おみねは老人の願いを叶え、この地に地蔵尊を建立したが、以来、乳の出ない母の参拝が絶えないそう。

三町大橋を渡ると、

のどかな風景が続き、最後の札所はあの山の向こう側です。

16時をまわり、西国結願の第33番札所「華厳寺」の山門をくぐります。

参道沿いには、満開の並木が続きます。

いのりちゃんもお出迎え♪

谷汲山「華厳寺」は、延暦17年(798年)開祖・豊然上人、本願・大口大領により創立され、西国三十三所観音霊場の第33番札所の結願・満願寺として「谷汲さん」の愛称で親しまれます。

「仁王門」

奥州会津出身の大領は、十一面観世音尊像の建立を強く願い、奥州の文殊堂で7日間の苦行の末、満願(7日目)の明け方に文殊大士のお告げで霊木を手に入れ、京の都で尊像を完成させます。観音像を奥州へ運ぶ途中、観音像が自ら歩きだし、美濃国赤坂に差し掛かると「我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と語り、この谷汲の地にて一歩も動かなくなったと伝わります。

「参道」

「手水舎」

観音様から手水が流れ出すのは、珍しいですね。

ハートとやかんを見つけました♪

「鐘堂」

「本堂」

御本尊:十一面観世音菩薩をお祀りします。本堂床下には、戒壇巡りがあり、真っ暗闇を手探りで一周すると、観音様と結願できると伝わります。

「精進落としの鯉」

本堂入口の柱には、長かった精進の日々を終えた巡礼者が、満願の証に撫でるがあります。

「笈摺堂」

満願成就した巡礼者が奉納した笈摺(おいずる)や菅笠が、山のように積まれます。

あちらこちらに満願の文字が並ぶ階段を登ります。

「満願堂」

文字通り、西国巡礼の満願成就を報告します。

「他を抜く」=「タヌキ」の石像がたくさん♪

見ざる・言わざる・聞かざるのタヌキVer.かな?

奥の院へは、東海自然歩道の山道を約1.3km、約20~30分ほど登ります。夏場は山ヒルが多いそうなのでご注意を!

九十九折れの参道には、西国三十三所の観音像が順番に配置され、これまでの一歩一歩を振り返ると感慨深いです♪

「奥の院」

【御朱印】

本堂納経所にていただきました。

西国33番の結願札所として、花山法皇が詠まれた御製三首の御詠歌にちなみ、3種の御朱印があります。また、本堂(=現世)・満願堂(=過去世)・笈摺堂(=未来世)を意味します。

本堂(観音堂)=現世

満願堂=過去世

笈摺堂=未来世


<華厳寺>

住所:岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

電話:0585-55-2033

入山料:無料、拝観時間:8時~17時(納経~16時半)

駐車場:700台(400円)

公式URL:http://www.kegonji.or.jp/


平成28年6月にJR新宮駅を出発し、西国第1番札所「青岸渡寺」から第33番札所「華厳寺」まで、テント泊を基本に計31日間、総歩行距離1,223kmを古人に倣って歩き続け、ようやく満願成就しました♪

(琵琶湖に浮かぶ「宝厳寺」だけはフェリーですが・・・w)

この旅を通じて、自分なりに感じたことを日々の生活につなげていければと思います。

さて、次の巡礼旅はどうしようかな?

平成30年4月1日(Day.31:42km、総歩行距離1223km)


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