【三重】日本武尊の御墓の傍らに鎮座する「能褒野神社」の御朱印

平成30年2月11日

三重県亀山市の「能褒野神社」へ。

「能褒野神社」(のぼのじんじゃ)は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の帰路に伊勢国能褒野の地で薨去し、景行天皇が太子の礼を以て葬られたとの伝承に基づき、明治12年(1879年)内務省が能褒野王塚古墳を日本武尊の御墓と定め、明治18年(1885年)御墓に隣接して創社されたそう。また、明治41年(1911年)には、式内社の県主神社や那久志里神社などが合祀されています。

「参道」

思いのほか、広くて長い参道が続きます。

「鳥居」

「鳥居」

「手水舎」

「連理の榊」

男女の深い契りを例えて比翼連理の仲と呼ばれるように、拝殿西の境内には、雄株と雌株が高さ3m余の所でお互いの手を差し伸べた形で連なる「連理の榊」があります。

日本武尊の安全を願って海に沈んだ弟橘姫、その姫を偲んだ尊が命果てる時に白鳥と化して天に昇ったとされ、その伝承の御魂を鎮めるように二株の榊が連なったとも伝わります。

「鳥居」

「狛犬」

「拝殿」

御祭神:日本武尊(ヤマトタケルノミコト)弟橘姫命(オトタチバナヒメ)建貝児王(タケカイコノミコ)を祀ります。なお、弟橘姫命は日本武尊の后、建貝児王は日本武尊の子にあたるそう。

「絵馬」

【御朱印】

拝殿脇の社務所で書置きをいただきました。

御由緒書きと御朱印を合わせて、初穂料500円を納めます。


隣接する「能褒野王塚古墳」は、4世紀後半の築造と見られる県北勢地域最大(全長90m・高さ9m)の前方後円墳です。平安時代以降、日本武尊の墓の所在地は不明となっていましたが、明治12年(1879年)に内務省によって、日本武尊の墓と定められました。

伝説では、日本武尊の死を嘆き悲しんだ景行天皇が能褒野に陵墓を作ると、尊の御魂が白鳥となって飛び去り、白鳥が止まった倭の琴弾原(奈良県御所市富田町)と河内の古市(大阪府羽曳野市古市)にも陵墓を作ったと伝わります。この「能褒野御陵」「大和白鳥陵」「河内白鳥陵」の三陵は、「白鳥陵」とも呼ばれます。


<能褒野神社>

住所:三重県亀山市田村町1409

電話:0595-85-1533

駐車場:南側に十数台あり


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